銀屋町の紹介

銀屋町界隈

長崎を代表する史跡長崎グラバー園が、日本でも最も古い洋館が残る異国情緒あふれる名所であるのに対し、眼鏡橋が架かる中島川流域の石橋群は古い長崎の面影を醸し出す史跡である。
石橋は5kmほどの間に寺町へと僧侶・町人を運ぶ架け橋として18橋も架けられた。最初に架設された眼鏡橋の一つ下流にある袋橋を渡るとそこが銀屋町である。

銀屋町の誕生は江戸初期とされ、1603年〜1624年の間に誕生したと思われる。
眼鏡橋が架かる中島川から寺町通りまで300mほどの一本の通りを挟んだ小さな町である。
町名は銀細工職人が多く居住していたことに由来している。付近にはシーボルトの娘で、日本初の女性医師、楠本イネの墓がある。また坂本龍馬の写真でよく目にする右肘を高台につき、ふところに手を入れている写真を撮影したのが、日本のプロ写真家第一号の上野彦馬で、銀屋町で生まれている。彦馬の写真のおかげで江戸幕末から明治初期の数多くの人物(高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、等)・風景を知ることができる。

三百数十年続いた銀屋町は新区画整理と町名改正で古川町と変わったが、2007年1月銀屋町に復活することができた。長崎の秋の大祭「おくんち」には、1819年より1936年まで大名行列を、戦後は1964年まで本踊りを、現在は勇壮剛毅な鯱太鼓を1985年より奉納している。

上野彦馬

銀屋町界隈 〜上野彦馬〜

オランダ人医師・ポンペの医学伝習所で舎密学(化学)を学ぶうちに写真術に関する記述を見つけ、独自に研究。のちに中島川の畔に写真館を開き、日本で初のプロカメラマンとなる。坂本龍馬や高杉晋作、伊藤博文など、幕末から明治維新を駆けた志士たちを多数撮影。ここ銀屋町は生誕の地である。

眼鏡橋

銀屋町界隈 〜眼鏡橋〜

1634年(寛永11年)、興福寺の第二代住職・黙子如定(もくすにょじょう)によって架けられた石積みのアーチ橋。1960年(昭和35年)に国の重要文化財に指定された。洪水のたびに崩落と再建を繰り返し、満身創痍ながら370余年の歳月を耐え抜き、今日も川面にその美しい姿を見せてくれている。

袋橋

銀屋町界隈 〜袋橋〜

眼鏡橋のひとつ下流に架かる古い石橋で、架設年月は不明。重要文化財として多くの観光客を集める眼鏡橋に対して、袋橋は自動車も通る人々の生活に密着した橋である。中島川の石橋群で、架設当時の姿を今に残す昔ながらの石橋は、上流から順に桃渓橋、眼鏡橋、そしてこの袋橋の3つだけである。

寺町

銀屋町界隈 〜寺町〜

永井荷風が、パリの路地と並べて「世界でただ二つの愛すべき道筋」と称した寺町の静寂。風頭山の麓に位置し、国の重要文化財・興福寺をはじめ、多くの寺が建ち並ぶ。近くには1865年(慶応元年)薩摩藩などの援助により、土佐の浪人坂本龍馬が設立した日本最初の商社・亀山社中跡もある。

鯱太鼓

銀屋町界隈 〜鯱太鼓〜

鯱太鼓は中国に伝わる蓬莱鯱伝説を表したもので、据太鼓と山車とで構成されている。蓬莱鯱伝説とは、神仙の鯱が海から現れ空をめがけて踊り上がり、蓬莱の鯱となる。やがて鯱は天まで昇って「黄金の龍」となり、人々に吉祥を招く、というもの。
据太鼓が奏でる「昇龍」によって、銀屋町の鯱は7年に一度、姿を現す。

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